おじやの半生日記「2000年代後半編」その16

何とか必死でみんなと合わせていこうと試みたが、
どうしても無理だと分かったので今度は完全に「引退」を
決意し、それをスタッフに告げた・・・。その場で
「亜早原」には「僕は、あなたとは相性が悪すぎる」
そう言い放ち、「弐位実」にも「手のひらを返したみたい
に豹変したね」と思いのたけをぶちまけた。
もう一人の「情有」はおじやに対しては何も争い事はなかったが、
指導方針に若干の違いがあったようだ。
そして、引退することが決定的になり、引き継ぎの件の話に
なっていった。おじやは当然、あの出しゃばり方を考えたら
「亜早原」が監督を引き受けると思っていたが、
「私はコーチでいい」。どこまでも自分の
保身を第一に考えているようだ・・・。
(それが証拠に、自分の子供が卒業すると同時に辞めている)
結局、「情有」が新しく監督を引き受けることになった。
あとは、辞める日と保護者への「引退の連絡」を決めなければ
ならなかった。日は夏の県予選を最後にすることになり、
「引退連絡」はおじやが「引退報告書」なるものを書いて
それを保護者に渡すことに決まった・・・のだが、
ここでまた「亜早原」が「その報告書を保護者に
渡す前に我々にチェックさせて下さいね」
というではないか・・・。どうやら自分にとって
「不利益」なことを書かれていないか確認したかった
のだろう・・・。一刻も早く、こんなやつらとは縁を
切りたかった。そして県大会に日がやってきた・・・。
この日は「監督」としてではなく代表者として
応援席から見ていた。(ちなみに事前に「亜早原」から
そうするように言われたのだ)もうこの時点では辞めたくて
辞めたくて仕方なかったから、何も言わなかったのだ。
試合の内容は全然覚えておらず、ただ早く過ぎてほしい
だけだった。そして・・・2009年7月6日・・・
おじやが命を懸けて頑張ってきた「四箇郷オジヤフレンズ」に
別れを告げる瞬間がやってきた・・・。最後に
「おじやが辞めるわけだから、このチーム名は変えてほしい」
と言い、名実ともにこの世から「四箇郷オジヤフレンズ」が
消えた・・・・。今思えば、あの時「亜早原」がスタッフに
入ることを拒んでいれば二人のスタッフもマインドコントロール
されることもなく平和に続けていただろう。まあ、
これがおじやの宿命だったのだろうが・・・そして、
おじやにはまた何もやることが
なくなり彷徨う人生が待っていた・・・つづく・・・。