おじやの半生物語「2000年代後半編」その14

それまでのおじやのハイテンションからは考えられないくらい
サゲサゲになっていった。以前のように3人のスタッフで
和気あいあいやっていたころが懐かしく感じられる・・・。
たった一人のためにおじやは谷底に叩き落された。
しかも直接的には手を下さないやり方で・・・。
それから練習をするにも子供たちの手前、楽しそうな
ふりをしている・・・。しかし、こどもは大人を見抜く天才だ。
スタッフ間のバランスの悪さを感じていただろう・・・。
ある日練習試合に行った時のことだ。おじやは審判を
していたのだが、その途中で相手のチームの監督さんから
「おじやさん、もう監督を辞めたんですか?」と言われた。
確かにその日の「亜早原」や「弐位実」の監督を差し置いての
出しゃばり方は誰でも「違和感」を覚えるほどだった。
そしていつの間にか「保護者会」的な活動も
起こり始めてきた・・・。おじやが最も恐れていたことだ。
大人が増えてくると必ず
「自分の方針」を表に出してきてチームを破滅へと導く・・・。
そのことを懸念していたが時すでに遅し。練習にも親が
多数顔を見せるようになってきた。最初の頃は子どもたちも
親の手前張り切るが、問題はやはり親だった。熱くなっていき、
怒号が飛ぶようになりそのうち子供たちはミスをしないように
親の顔色を伺うようになっていきドッジボール
楽しむことを忘れていく・・・。
楽しくもない練習を進めていき、関西大会の日が訪れた・・・。
この時はもう「オジヤフレンズ最後の試合」と
自分自身で言い聞かせていた。選手たちにはなるべく
悟られないように笑顔で接した。「楽しんで来い!」
それだけだ。競技ドッジボールは和歌山は他の関西圏に
比べてとてつもなく遅れている。・・・が今回は
予選から対等の戦いを繰り広げている。2勝1敗で決勝トーナメント
に進出した。「もう、これで思い残すことはない」
おじやはそんな言葉を脳裏に浮かべていた・・・。
試合の結果はベスト8まで進んだ。負けた時は特に悔しさ
なんかはなかった・・・。帰りの車の中では
疲れた心を引きずりながら「引退」の文字がちらりと
見え始めていた・・・つづく・・・。