おじやの半生物語「2000年代前半編」その9

娘のほうは、学校生活を満喫していたが息子の事についても
ここで少しふれておこう・・・。
息子は「知的障害がある自閉症」ということはすでに
書かれていたが、多くの方は小学校は普通の地域の小学校に
行ったと思われるようだが
知的に問題のある子供が行く学校というものがあり、
「支援学校」という特別な場所に行く。以前は
養護学校」と行ったのだが・・・。
息子も例にもれず「紀北支援学校」に入学した。
小学部から高等部までの障害児がたくさんいる。
子供が小学校に入学するのに、ランドセルや
学習机を用意する必要がない・・というのは
健常児のように通常の学習をしないからだ。
親にとっては切ないものである。
家の近くのバス停から毎日楽しそうに行ってるので
一安心なのだが・・・。
さて、娘のドッジボールの大会の話に戻そう・・・。
2005年7月、大雨の中を大会会場のビッグホエールに向かう。
おじやは8人ほど子どもを乗せていったのだが、
一人の女の子が車に酔いゲロしてしまった(おいおい!)
無事会場に着くと、数多くのチームが並んでいて圧倒された。
開会式が始まり、試合開始・・・。
おじやはここで衝撃を受けたチームがあった。
「岩出ガメラーズ」というチーム。
おじやの頭に入っていた「ドッジボール」という競技が
根本的に覆された瞬間だった・・・。
我々のチーム名は「四箇郷オジヤフレンズ」という実に
ふざけた名前(笑)ほとんどが4年生での挑戦と
いうこともあり、全試合5分持たずに全滅・・・という
苦いデビュー戦となった。
そしてこのあと「公式ドッジボール」という物に対し、
一大決心で立ち向かう決意をしたおじやであった・・・。つづく・・・。