おじやの半生物語「2000年代前半編」その1

息子の障害が判明してからは、忙しい日々が続いた。
まず医者(正確には保健師)に言われたのは
「この子のために様々な療育を受けること」を勧められた
発達障害がある子供には「教育」ではなく「療育」というらしい。
まず、「グリム教室」という和歌山市内で行われている
発達障害児に対しての療育の一環の集いがボランティアで
やってくれていたので、そこの門を叩いた。
車で30分ほどかかる「和歌山県こども、障害者センター」
という場所だ。そこの先生は発達障害児が通園する施設
「あおい学園」の園長先生だったのだ・・・。
息子は2歳になるとそこに通うようになるのだが、
このときはまだ妻が免許を持ってなかったため、
妻の免許取得から始めなければならなかった。(大きくなると
送迎バスがあるのだが、小さいときは施設まで
親が送迎しなくてはいけなかったからだ。)想定外の出来事であった。
痛い出費でもあったが、何とか施設に入園するまでに
免許を取得した。時期を同じくして上の娘が
地域の「中之島幼稚園」に入園することになる。
その時は当然会社を休み入園式に出席した。
もちろん息子の入園式にも夫婦そろって入園式に出席した。
息子の入園式で園長先生が「ご入園おめでとうございます」と
言ってくれたが、果たして障害を持ったこどもが
普通の保育園や幼稚園に行けず、ここに来たことが
「おめでたい」事なのだろうか・・・と複雑な心境になったおじやであった・・・つづく・・・。